地域おこし協力隊卒業後、7年ぶりに「大子那須楮(だいごなすこうぞ)」の産地茨城県大子町大沢地区へ

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私は、2016年に茨城県久慈郡大子町の特産品PR担当の地域おこし協力隊として活動していました。

地域おこし協力隊卒業後、翌年もお手伝いに行っていたのですが、その後、私自身がベンチャー企業への転職や、コロナ禍、妊娠・出産、父の闘病・逝去など、個人的にも社会的にも伺うことが難しい期間が続いていました。

そんななか、昨年末、7年ぶりに「大子那須楮(だいごなすこうぞ)」の産地茨城県大子町大沢地区へ行ってきましたので、その様子をお伝えします!

世界遺産を支える原料「大子那須楮(だいごなすこうぞ)」とは

「楮(こうぞ)」とは、古くから和紙の原料とされてきたクワ科の植物のことを指します。

茨城県久慈郡大子町では、特産品であるこんにゃくや茶と一緒に、多くの農家さんが古くから楮(こうぞ)の栽培を行っていました。

江戸時代には、水戸藩二代目藩主・徳川光圀によって楮の植栽が奨励され、地域の特産品へと発展。

一説によると、栃木県那須地域の問屋を通じて全国に流通していたことなどから、「那須楮」と呼ばれ取引されるようになりました。

大子町が質の高い楮を生産できる理由は、気候と土壌にあり、山に囲まれた急峻な傾斜地が多く日当たりが良いことや、昼と夜・夏と冬の寒暖差が大きいこと、土に石が混じっていて水はけが非常に良い土壌があるためです。

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実際に、それぞれの和紙産地の方が、大子町の苗木を持ち帰り栽培したこともあったようですが、大子町の楮と同じ品質のものはできなかったとのことです。

大子那須楮は、繊維が細かく緻密で、その細く緻密な繊維は紙の耐久力を生み出し、繊維が細いことは薄い紙を漉く際にも優れていると言われているため、大子那須楮で紙を漉くと、きめの細かい絹のような美しい光沢を放つ上質な紙ができます。

そのため、紙漉き職人さんの間では、「最高級の楮」とも言われています。

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地域おこし協力隊時代、岐阜県美濃市への視察に同行させていただいた際に、紙漉き職人さんたちが口をそろえて「大子の楮は、憧れの楮です。」とおっしゃってくださったことが印象的で今でも覚えています。

さらには、ユネスコ文化遺産に指定されている岐阜県美濃市の和紙の中でも最高級とされる「本美濃紙」や、福井県の人間国宝である岩野市兵衛氏が漉く「越前奉書」には、「大子那須楮」のみが使用されています。

このような貴重な和紙は、”伝統文化”とされる日本画や文化財の修復、京都迎賓館の障子や照明、パリのルーブル美術館にでも展示されるような一流の版画にも使用されており、伝統産業と文化財保存を支えるために、大子那須楮の存在は必要不可欠で、重要な役割を担っています

大子町は、そうした伝統文化を支えてきた産地のひとつなのです。

しかし近年では、洋紙の普及により、和紙全体の需要は減少の一途をたどっており、皆さんの日常生活野中でも和紙がみられる機会はほとんどなくなっているのではないでしょうか。

さらに、楮生産農家側も、高齢化などにより、生産を継続できるか、非常に危機的な状況にあります。

2016年11月、「大子那須楮保存会」の設立を機に、ブランド化を図ることを目的とし、大子町で生産される楮は「大子那須楮」と名称を統一

さらに2020年には、生産技術が「大子町無形文化財」に指定されました。

蒸し作業

現在、大子町では、楮を蒸して皮をむく作業が最盛期を迎えています。

たっぷりと水を張った大釜に火を焚いて蒸発させ、その上に収穫した楮(こうぞ)の束を立て、大きな金属製の窯を楮にかぶせ、蒸気で柔らかくします。

昔は、どこの家にも楮を蒸すための釜を持っているような状況であったようですが、今ではほとんどいません。

そのため、自分の所で釜を持ち、加工までできる農家さんはほどんどいなくなったこともあり、大子那須楮保存会会長は、自分で育てた楮以外にも、近隣の農家で育てられた楮もまとめて、一連の加工を行い出荷している現状もあります。

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以前は、この窯も金属製ではないものを使用していたようなのですが、その窯をつくる方もいなくなってしまい、金属の釜に変更したそうです。

窯の火を調節しながら一時間以上蒸し、窯を上げると、寒い空気の中に真っ白な蒸気がぶわっとあがり、甘い香りが広がります。

そして、蒸しあげた楮にはすぐに冷水をかけ、樹皮を縮めることで木質部から剝ぎやすくします。

凍りつくような大子町の寒さのなか、早朝から日が暮れるまで、黙々と、この蒸して皮をはぐ作業を7回近くも繰り返します。

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この重労働をされている方の多くが60~70代(ほとんどが70歳以上)で、会長は80歳近くになるというのも本当に驚きでありつつ、今後どのように繋いでいくべきなのかと考えさせられます。

表皮剥き

和紙の原料となるのは、楮の幹の部分ではなく、その周りにある「皮」の繊維の部分であるため、1本1本、皮を剥がなければいけません。

蒸したてのホカホカの楮を作業場に運び、蒸した楮が冷気で剝きにくくなるのを防ぐため、麻布をかけて、順番に皮を剥いでいきます。

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表皮剥きのお手伝いを子どもたちがしていた頃は、剥き終わった幹の部分をチャンバラごっごの刀にして遊んでいたそうな。

そして、剥いだ皮の一番外側の茶色い部分を薄くむいて、中から出てきた白い皮をしっかりと乾かしてから、和紙の原料として出荷してます。

まとめ

私が、地域おこし協力隊をしていた当時は、大子那須楮保存会会長の齋藤邦彦さんご夫婦が楮の畑に入っていると、「何をしているんだろう?」と、町内の方にも思われてしまったり、私も活動しながら、「楮って何?」と言われることもあったほど、町内でも認知度が低かった過去があります。

しかし現在では、google検索で「大子那須楮」と調べると何ページも表示されるほどになっていたり、生産技術が「大子町無形文化財」に指定されたり、公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団の賞に輝くなど、本当にたくさん躍進を遂げられています。

地域おこし協力隊をしていた当時も、そこから8年たった今も、再会した齋藤さんは変わらず、お金や損得ではなく、紙漉き職人さんやその方々が漉いた和紙が使われる文化財や作品などを想いながら、よりよい楮を届け続けるために、情熱とプライドをもって大子那須楮の生産を続けていました

そんな、大子那須楮保存会をひっぱってきた齋藤さんも80歳近くになります。

地域おこし協力隊時代に一緒に作業させていただいた方で、亡くなってしまった方も何人もいます。

私自身、齋藤さんご夫婦に再開するたびに、人としても大すきなので、再度お会いできたことを嬉しく想いつつ、「まだ大子那須楮が続いている」という現実を大切に噛み締めています。

和紙の重要性や価値がどんどん高まる現在、一方で、究極な表現をすると、楮が消滅してしまったら、和紙も消滅してしまう

これに対して、地域おこし協力隊をしていた当時も、今も、こうすればいいのではないかという解決策が私の中にも見つけられていません。

それでも、行けるときにまた訪れて、何かできることが一つひとつやっていくしかないのかな、と思っています。

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何かヒントやアイディアがあったら、お問い合わせフォームかInstagramのDMなどで、ぜひ教えて下さい…!

現地に一緒に行ってみたい方も、ぜひご連絡ください◎

おすすめの展覧会

自らが創作のために手にする素材づくりの現場へ赴き、その源流に触れることによって見えてくる人の暮らし、気候風土、営み、文化、信仰と向き合いながら藝術と表現について問うことを目的に、2024年に発足した「日本画」を出自とする作家グループ「耕/たがへし」さんが、初めての展覧会を開催しています!


展覧会名『紙と膠』vol.1 大子那須楮から
期間:2025年2月17日(月)〜22日(土) 10時〜18時(初日13時〜、最終日16時まで)
場所:小津ギャラリー(〒103-0023東京都中央区日本橋本町3-6-2 小津本館ビル2階)
公式サイトhttps://geng—tagaheshi.webnode.jp/

第1回となる本展では「大子那須楮から」と掲げ、本美濃紙(岐阜県)や越前生漉奉書(福井県)の原料になる大子那須楮(茨城県久慈郡大子町)の楮の芽掻きから始まった「絵画素材実習」の一端を紹介しつつ、「絵画素材実習」や勉強会で各々が得たことを踏まえた絵画制作を行い、展覧。

haruca

1993年生まれ。茨城県出身、神奈川県在住。

モノ・暮らしを中心に執筆をしています。

30代前半 / 3歳女の子のママ / 夫の実家で義理の両親・弟と同居中 / 音楽が大すき

【経歴】
成城石井→茨城県のアンテナショップ→地域おこし協力隊 特産品PR担当→東北のアンテナショップ運営→ウェブマガジン「greenz.jp」編集インターン→大手クラウドファンディングサービス カスタマーサクセス 450件を超えるプロジェクトをサポート。累積調達額約6億円。→2024年8月よりフリーランスに。

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